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第88回独立展

第89回独立展
PROFILE
生年 | 1943年1月24日(昭和18年) |
職業 | 独立美術協会会員、建築美術工芸協会会員、日本美術家連盟委員 |
専門 | 壁画 壁画修復 油絵 |
出身地 | 奈良県 |
終学歴 | 東京芸術大学大学院卒業(昭和43年) |
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経歴 | |
昭和43年 | 独立美術協会会員 |
昭和46年 | イタリアに渡りミラノで個展 ラ・マーザ賞受賞 ヴェネチア近代美術館買い上げ ユーゴスラビア インコントロ・ア・モトブン展出品 パジョン美術館買い上げ |
昭和48年 | ベニス カバリーノ画廊にて個展 ベニス・アカデミヤ修了 文化庁派遺によりローマ中央修復研究所に入所 ヴェネチア市立美術館にて個展 帰国 高松塚古墳調査 |
昭和52年 | 文化庁在外研修員として渡米 渡欧 |
昭和53年 | イタリア・マニフェスト展受賞 帰国 |
昭和57年 | エジプト旅行セントラルアネツクスにて四大文明展 |
昭和58年 | 「十果会」結成 |
昭和59年 | 「インド・ガンダーラ絹谷幸二展」 |
昭和62年 | 東京芸術大学講師 |
平成元年 | 京都・田辺町の新庁舎に壁画「光ふるまち田辺」が完成 文部省海外学術研究調査のためスペイン北部のアルタミラ洞窟 フランス中部のラスコー洞窟 北欧などを訪れ 先史時代壁面の調査研究を行う |
平成2年 | 東京芸術劇場に天井画「天・地・人」が完成 |
平成3年 | 茨城県十王町・法驚院五十塔の壁画が完成 |
平成4年 | 「生命の歓喜・絹谷幸二展」(名古屋松坂屋)開催 |
平成5年 | 北京の国立中国美術館で東京芸大絹谷教室の学生と美術家による「中日現代油画展」を開催 東京芸術大学教授就任 |
平成6年 | キャラリー・ブローマンス(オランダ)にて個展 |
平成7年 | 世田谷文学館ロビーに(阪神大震災へのレクイエムとして)「愛する者たちヘ・希望」を製作 |
平成9年 | 1998年長野冬季オリンピツクのポスターが JOCより公式ポスターに採用され 種目別ポスター原画制作 |
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受賞 | 大橋賞(昭和41年)独立賞(昭和41・42年)ラ・マーザ賞(昭和46年)・安井賞(第17回・昭和49)マニフェスト賞(昭和53年 ビエンナーレ) 美術文化振興協会賞(第2回・昭和58年)日本青年画家展優秀賞(第2回・昭和60年 第5回・昭和63年)日本芸術大賞(第19回・昭和62年) 毎日芸術賞(第30回・平成元年) |
趣味 | 古美術 釣り アクアラング スキー 野球 ゴルフ |
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(し好品) | 酒と肴 |
研究テーマ | 古典壁面法の研究と現代建築への再現 作画技術・歴史・修復 保存法 |
著作・作品 | 「絹谷幸二画集」「壁に描く」「絵画美術大系 9巻} 「古典技法壁画」 |
主な買い上げ作品 | 「アンセルモ氏の肖像」(東京国立近代美術館) 「アンジェラと蒼い空」(文化庁) 「ユダの接吻」(模写)(奈良県立美術館) 「羅漢唄う」(富山県立美術館) |
論文 | 「高松塚古墳入室調査報告書」 「文部省海外学術調査研究報告書」 |
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師弟関係 | 烏海青児 林武 小磯良平 島村三七雄 ブルーノ・サエッティーに師事 |
青春時代 | 奈良・猿沢池畔の古い家に育ち 白樺派の文化人が多く寄ったことなどで影響を受けた |
好きな言葉 | 「雲無心」「芸術は生きることであり生は芸術である」 |
好きな作品 | ピカソ 宗達 北斎 |
好きな場所 | ベネチア ペルージャ(イタリア) スリナガル レー バリ(インドネシア) 西安 酒泉 嘉硲関 敦僅(中国)オハカ エジプト |
放送出演 | NHK「日曜美術館」「壁に描く」「一点中継」 日本テレビ「アートNOW〜「子供の城」・壁画」 「美の世界」など |